常に変わり続ける「わたし」を捉える：自己同一性を巡る思考のヒント
自分とは何か？ 変化の中で揺らぐ自己
私たちは日々の生活の中で、無数の変化を経験しています。新しい知識を得たり、人間関係が変わったり、体調が変化したり。そして、私たちの内面もまた、絶えず揺れ動いているように感じることがあります。
「自分らしさ」とは何でしょうか？ 過去の自分と今の自分は、同じ「わたし」と言えるのでしょうか？ 仕事の役割が変わったり、新しい環境に身を置いたりするたびに、自分自身を見失いそうになる瞬間もあるかもしれません。
この「自分とは何か」という問いは、古くから多くの哲学者によって考えられてきたテーマの一つです。そして、この問いに向き合うことは、変わりゆく時代の中で自分自身の軸を見つけ、内面的な安定や創造性の源泉を育むための大切なヒントになります。
思考実験：テセウスの船が問いかけるもの
「自己同一性（Identity）」、つまり「自分自身が、時間の経過や変化にもかかわらず、同じ自分であり続けること」を考える際に、哲学でよく引き合いに出される思考実験があります。それは、「テセウスの船」です。
この思考実験は、古代ギリシャの歴史家プルタルコスが記したエピソードに由来します。英雄テセウスが乗ってきた船が長い年月の間に老朽化し、傷んだ部品が次々と新しい部品に交換されていきました。そして、ついに全ての部品が新しいものに取り替えられたとき、この船はもはや元のテセウスの船と言えるのだろうか？ という問いが生まれます。さらに、取り替えられた古い部品を全て集めて組み直したら、それは元の船と言えるのか？ という問いも加わります。
この思考実験は、物の同一性に関するものですが、これを「自分自身」に置き換えて考えてみましょう。
私たちの「部品」は何だろう？
もし私たちが「テセウスの船」だとすると、私たちの「部品」は何に当たるでしょうか？
- 身体: 細胞は絶えず生まれ変わり、物理的な体は変化します。
- 記憶: 過去の出来事の記憶は薄れたり、解釈が変わったりします。
- 性格や感情: 経験によって性格は変わり、感情は状況に応じて移り変わります。
- 価値観や信念: 学びや経験を通じて、大切に思うことや信じることは変化します。
- スキルや知識: 新しいスキルを習得し、古い知識は陳腐化することもあります。
- 人間関係や環境: 周囲の人々や所属する場所も常に変化しています。
身体の細胞が全て入れ替わっても、あなたはあなたです。記憶の一部が失われても、あなたはあなたです。過去の失敗や成功の経験が、今のあなたを形作っている一方で、未来のあなたは今のあなたとは違った考えを持つかもしれません。
テセウスの船の問いは、「何が変わっても、何が『わたし』を『わたし』たらしめているのか？」という根本的な問いを私たちに投げかけます。
変化の中で「わたし」を捉えるためのヒント
この思考実験を通して、私たちは自己同一性についていくつかの異なる視点を得ることができます。
- 連続性としての自己: 物理的な「部品」が全て入れ替わっても、そこに至るまでの連続性、歴史、ストーリーこそが船（あるいは自己）の同一性を保っていると考える視点です。過去から現在、未来へと続く「語り」や「経験の流れ」こそが、あなたをあなたにしているのかもしれません。
- 機能や目的としての自己: 船が「船として機能すること」に同一性の本質があると考えるように、自己もまた特定の役割や目的、あるいは「自分として生きる」という行為そのものに本質があるのかもしれません。フリーランスとしての活動や、クリエイティブな営みそのものが、あなたの自己を定義する一部となっている可能性もあります。
- 中心となる核としての自己: 変化し続ける外側の要素とは別に、揺るぎない内面的な核、例えば特定の価値観や、世界に対する根本的な姿勢のようなものが存在し、それが自己同一性を支えていると考える視点です。ただし、この「核」もまた、経験を通じて少しずつ変化していくものかもしれません。
- 変化そのものが自己: 変化し続けることこそが人間の本質であり、「変わらない自己」を求めること自体が難しいのかもしれません。変化を受け入れ、その変化のプロセスの中に自己を見出すという視点です。
日常の中で自己同一性を考える
「テセウスの船」のような思考実験は、すぐに答えが出るものではありません。しかし、このような問いに向き合うプロセスそのものが、私たちに新たな視点を与え、内省を深めるきっかけとなります。
- 過去の自分、今の自分、未来の自分を書き出してみる: 数年前の自分と比べて、何が変わり、何が変わらないと感じますか？ 5年後、10年後の自分はどんな自分でいたいですか？ 変化と不変の要素を意識してみましょう。
- 「自分らしさ」を構成する要素を問い直す: 仕事、趣味、人間関係、大切にしている価値観など、自分を構成していると思う要素をリストアップし、それぞれがどれだけ変化しているか、そしてそれが自分にとって何を意味するのかを考えてみましょう。
- 変化を否定せず、受け入れる練習をする: 過去の失敗や、理想通りにいかない自分を受け入れることは難しいものですが、それらもまた自分の一部であり、今のあなたを形作る要素です。変化を恐れず、自己を柔軟に捉える視点を養うことが、創造性や精神的な充足にも繋がるはずです。
まとめ
常に変化し続ける「わたし」という存在は、捉えどころがなく、時に不安定に感じられるかもしれません。しかし、「テセウスの船」の思考実験のように、この変化そのものや、変化の中にある連続性、あるいは変化を受け止める姿勢の中に、自己同一性のヒントを見出すことができます。
「自分とは何か？」という問いは、答えを探す旅そのものが重要です。日々の小さな変化に気づき、過去の自分、今の自分、そして未来の自分に優しく寄り添いながら、あなた自身の「わたし」を探求していくプロセスを楽しんでみてください。それはきっと、あなたの内面に豊かな広がりをもたらすことでしょう。
あなたが「自分」について考える上で、この記事が少しでもお役に立てたなら幸いです。