コントロールできることとできないことを見分ける:日々の平静さをつくる思考のヒント
日々の心の波と、何にエネルギーを注ぐべきか
私たちは日々の生活の中で、さまざまな出来事に遭遇します。予測できない問題、他者からの予期せぬ反応、計画通りに進まない現実。こうした状況に直面するたび、不安やストレスを感じ、心が波立つことがあるかもしれません。
その原因の一つとして、私たちは往々にして、自分の力ではどうすることもできない事柄に心を囚われすぎている、という点が挙げられます。コントロールできない未来の結果を心配したり、他者の言動に一喜一憂したりすることに、多くの内的なエネルギーを費やしてしまいます。
では、どうすればこの心の波を穏やかにし、より建設的な心の状態を保つことができるのでしょうか。そのためのヒントとなる考え方が、古くから哲学の世界で語られてきました。それは、「コントロールできること」と「コントロールできないこと」を明確に見分けるという視点です。
ストア派哲学に見る「二分法」
この考え方を体系的に提唱したのは、古代ギリシャ・ローマ時代のストア派と呼ばれる哲学者たちです。彼らは、心の平静(アタラクシア)を得るためには、この区別が極めて重要であると考えました。
ストア派の哲学者エピクテトスは、「エンケイリディオン(手引き)」の中で、物事は「我々の手の中にあるもの」と「我々の手の外にあるもの」に分けられると述べています。
- 我々の手の中にあるもの(コントロールできること): 私たちの思考、判断、願望、嫌悪、そして自分自身の行動や態度。
- 我々の手の外にあるもの(コントロールできないこと): 他者の意見や評判、身体的な健康、富、名声、そしてほとんどの外的出来事の結果。
彼らは、我々が幸福になるためには、コントロールできることにのみ焦点を当て、コントロールできないことについては、「それは自分の力の及ばない事柄である」と認識し、受け入れるべきだと教えました。コントロールできないことに固執し、それを変えようと奮闘することは、無益であり、苦しみを生むだけであると。
なぜこの区別が重要なのか
このストア派の「二分法」の考え方が、なぜ現代を生きる私たちにとっても有効なのでしょうか。それは、私たちのエネルギーと心の平安を守るための羅針盤となるからです。
私たちは限られたエネルギーしか持っていません。そのエネルギーを、どれだけ努力しても変えられないこと(例えば、過去の出来事、他人の性格、経済全体の動向など)に費やしてしまうと、本来注ぐべき、自分の内面や行動という「コントロールできること」に注ぐエネルギーが枯渇してしまいます。
コントロールできないことに囚われることは、不安や後悔、怒りといったネガティブな感情を増幅させます。しかし、コントロールできることに意識を向ければ、私たちは主体的に行動を選択し、自己を律し、状況に対する自身の解釈や態度をより建設的なものに変えることができます。これは、心の平静を保つだけでなく、創造的な活動や問題解決においても、非常に力強い土台となります。
日常で実践する:コントロールできることを見分ける練習
この哲学的な視点を日々の生活に取り入れるには、どうすれば良いでしょうか。一つの方法は、何か困難やストレスを感じる状況に直面した際に、立ち止まって自問してみることです。
「この状況において、私は具体的に何をコントロールできるだろうか?」
例えば、クライアントからの厳しいフィードバックに心が傷ついたとします。 * コントロールできないこと:クライアントがそのように感じたこと、彼らのフィードバックの内容そのもの。 * コントロールできること:そのフィードバックに対する自分の感情的な反応、フィードバックから何を学ぶかという解釈、今後どのように改善策を考え、実行するかという行動、クライアントとのコミュニケーションの取り方。
SNSで自分の作品が批判された場合も同様です。 * コントロールできないこと:批判した人の意図、他の人がどう思うか、その批判が広まるかどうか。 * コントロールできること:その批判にどう反応するか(反応しないという選択も含め)、批判から何か学びがあるか見極めること、今後の制作活動にどう活かすか。
未来への不安(例えば、仕事の継続性や収入)についても考えてみましょう。 * コントロールできないこと:将来の経済状況、市場の変化、予期せぬ出来事。 * コントロールできること:自身のスキルの向上、新しい分野への学び、人脈づくり、日々の努力、貯蓄やリスク分散といった準備、そして何よりも、不確実な未来に対してどのような心構えで臨むかという自分の「態度」。
このように、状況を「コントロールできる部分」と「コントロールできない部分」に切り分けて分析することで、感情的な混乱から一歩引いて、具体的な、自分に可能な行動や内面の調整に焦点を当て直すことができます。
創造性と「手放す」こと
特に、創造的な活動に携わる方にとって、この視点は重要かもしれません。創造性はしばしば、コントロールできない「インスピレーション」に依存するように語られます。しかし、インスピレーションが訪れるかどうかは、私たちのコントロールの範疇を超えています。
私たちがコントロールできるのは、日々の練習、新しい情報への露出、試行錯誤を続ける忍耐力、そして完成度に対する自身の基準です。完璧なアイデアが降りてくるのを待つのではなく、目の前の素材と向き合い、手を動かすという「コントロールできること」に集中することが、結果として予期せぬ良いものを生み出すことにつながる場合があります。また、作品に対する他者の評価や市場での成功といった結果も、コントロールできない事柄です。そこに一喜一憂するエネルギーを、次の創造へのインプットやプロセスに注ぐ方が、精神的な安定と持続的な活動につながるでしょう。
平穏への、日々の穏やかな一歩
コントロールできることとできないことを見分けるというストア派の視点は、魔法のようにすべての問題を解決するわけではありません。コントロールできない事柄に対する不安や悲しみが完全に消えるわけでもありません。しかし、この区別を意識し、実践を重ねることで、私たちは無益な苦悩から少しずつ距離を置き、自分の内面や具体的な行動という、本当に力を行使できる領域にエネルギーを集中できるようになります。
それは、荒波の中で、波を鎮めることはできなくても、自分が乗る船の操縦や、船内を整えることに意識を集中するようなものです。外の状況に振り回されすぎず、自分の内側の平静さという確かなものを築いていく。そのための穏やかで力強いヒントが、この古い哲学には込められています。
あなたにとって、今日、コントロールできることは何でしょうか。その小さな一歩から、日々の平静さをつくる思考を始めてみてはいかがでしょうか。